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何度も書いているが、串田孫一さんの「断想」にはいつもウットリとさせられてしまう。
この「野生の花」は、32種の野生の花を題材とし、荒谷由美子さんが絵を、串田孫一さんが文章を担当した、ボタニカルアート画文集なのだが、序文となる「花についての断想」が(もちろん、本文もだが...)例によって実にシビれる美文なのだ。
古書店の店頭でページをめくり、最初の3行を読んだ時点で、レジに向かってしまいました。
私は自分の部屋に花を飾る習慣がない。だが、私を訪ねて呉れた人が玄関に立ち、小さい花束を差し出したらば、それを受取る時の作法は心得ているつもりである。
その花に似合った花瓶の一つを選び、早速訪問客と私の間の卓の上に置く。そこに置くのには少し大き過ぎれば、脇に場所を仮りに設けて、雰囲気を作る。するとそこに、花と人間とが長い間続けてきた歴史が見えてくる。
好意が新しい舞台をしつらえる。仮令(もし)一匹の蝶が、開け放った窓から舞い込んで来て、その花の一つにとまるというような演技を見せて呉れなくても。~中略~
知らない花を見る度に、何とかして名前を知りたいものだと焦るのは、本当は餘りいい習慣ではない。名前を忘れた花を見ると、直ちに苛立ちが起こって、多分顔を顰めている。花はその人の顔を不思議そうに見ている。
「野生の花」 文:串田孫一 絵:荒谷由美子 アトリエ風信刊 より
人は自分達の附けた花の名称の波を泳ぎ廻ろうとして、溺れそうになっている。
花を忠実に丁寧に写生することにより、(例えばドクダミであっても)「美しさがよく判り出し、匂いも大袈裟にいやがるようなことがなくなった。これによって得た教訓は大きかった」
と書かれているが、もちろん素人の写真撮影の対象としても、花は魅力的である。
たとえ道端に咲いているありふれた雑草のような花でも、レンズを通してじっくり見ると、そして好みのアングルで切り取ってみると、やはりどれもこれもキレイだからね。
でも、こんな風に書かれているのを読むと、思わず絵を描く趣味を持つ人のことが羨ましくなってしまいますな。
写真には恐らく別の教訓があるに違いない。然し描くことは時間を忘れての花との附合いがあり、想いの交換があり、それを基盤にした悦びがある。
「野生の花」 文:串田孫一 絵:荒谷由美子 アトリエ風信刊 より
ところで、ちょっと調べてみた範囲では、どうもこの画文集「野生の花」は、すでに絶版のようだ。
絵も文章も、とても美しい本なのに残念です。
- 2009年4月11日 21:21
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