各人の筋肉の構造バランスにも、長距離走者型と短距離走に向くタイプがあるというが(いわゆる遅筋と速筋がどうしたこうした.....)、小説家も同様に両タイプに分かれる、ような気がする。
長編小説家と短編小説家という意味では、ない。
同じ長編小説であっても、緻密な構成と計算されたペース配分によって物語の世界に徐々に読者を引き込んでいくパターン、そして、時にはたった一行の文章で読者をノックダウンさせるタイプ、の違いである。
ぼくにとっての大昔からの2大アイドルを例に挙げると、村上春樹は前者、村上龍は後者である。まぁ、異論はあろうかと思いますが。
あなたの一番好きな小説は?、との質問に正確に答えることは難しいが、「コインロッカー・ベイビーズ」はこの数十年間にわたって常にその第一候補である。
あの作品のように、短距離を全力疾走し続けるような文章を重ねて長編小説を完成することは、もうないのかもしれない。
それでも、(たぶん村上春樹にはない)爆発的な瞬発力が、村上龍の文章と小説にはある、ような気がする。
待ちに待った新作長編は、個人的には正直それほど楽しめなかった。
それでも、退屈で冗長(とぼくは感じた)な地獄巡りの憂鬱を一瞬で帳消しにする、文章の速筋力(??)は健在で、ちょっとグッときました。
単に誰かといっしょに何かを眺めたり、何かを聞いたり食べたりした記憶に、どうしてこんなに強い力があるのだろうか。涙があふれそうになっているのに気づき、愕然とした。ぼくは怒りと無力感にとらわれている。
「歌うクジラ」 村上龍 著 より
音楽は、一瞬で世界を変えることが出来る。
ジェフ・ベックも、吉田美和も、アート・ブレイキーも、それが出来る。ただ一音のチョーキングやスキャットやドラムロールによって。
小説にはなかなかそれが出来ない。普通は、何ページも何十ページも必要だからだ。
しかし、村上龍の小説にはそれが出来る、ような気がする。
もしかしたら、村上龍の小説は、音楽的なのかもしれない。
大切なことを理解した。ぬくもりも音も匂いもない宇宙の闇の中で、気づいた。生きる上で意味を持つのは、他人との出会いだけだ。そして、移動しなければ出会いはない。移動が、すべてを生み出すのだ。しかし、せっかく気づいたのに、それらを活かすことなくぼくはこれから死を迎えるのだろうか。だが、人間の一生とはこんなものかも知れない。誰もがいろいろなことに気づき、だがそれを人生に活かすことができないという怒りを覚えながら消えていく。
「歌うクジラ」 村上龍 著 より
~中略~
ぼくは生まれてはじめて、祈った。生きていたい、光に向かってつぶやく。生きていたい、ぼくは生きていたい、そうつぶやき続ける。
- 2010年11月 7日 15:27
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